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  今週のコラム
    2025年3月30日「聖なる方にならって」
 イエス様を信じて永遠のいのちを持って歩んでいるが、欲望に引きずられる生き方に引き戻そうとする悪魔の誘惑がある。誘惑に負けないように、心を引き締め、身を慎んで進もう。聖なるイエス様にならって、生活のすべての面で、神様の御心は何か、何が正しく、神様に喜ばれるのかをわきまえて歩もう。
 私たちの希望である、終わりの日に、二度と死なない体を与えられて永遠に生きる恵みにあずかることから目を離さないようにしよう。
    2025年3月23日 「いたんだ葦を折ることがない」
 私が通っていた神学校で毎日行われていた礼拝で、ある時、一人の牧師がイザヤ書の救い主の預言「彼はいたんだ葦を折ることがない」という箇所から説教をされた。その時、私はイエス様が傷ついた人を折ることをしない方だと知った。
 イエス様を信じる私たちは、いたんだ葦のように生きづらさを抱える方々と共に生きるように招かれている。主の招きに応えて主にしたがって歩みたいものである。
    2025年3月16日「この救い」
 
旧約聖書の預言者たちは救い主の預言をしたが、それが誰であるか分からなかった。二千年前、罪がゆるされ、永遠のいのちを与えられ、終わりの時の身体の復活という救いは、イエス様によって実現した。使徒たちや彼らによって信じた人々によってイエス様の福音が宣べ伝えられた。天使たちも見たいと願ったことであった。私たちは、イエス様を信じて受け入れるだけで、この救いに預かることができるのである。この大いなる恵みを喜び、感謝して歩もう。神様は人々にイエス様の福音を知らせようとしておられる。「神様が福音を伝えたい人との出会いを私に与えてください」と祈ろ
    2025年3月9日「喜びが満ちあふれるように」
 イエス様を見てはいないけれども、イエス様を罪からの救い主と信じる者は、永遠のいのちを与えられ、からだの復活の希望をもっている。そして、信じる者が試練の悲しみにありながら、個人的な日ごとの主との交わりをすることは、大きな喜びをもたらすのである。最後の夕食の時に、イエス様は弟子たちの喜びが満ちあふれるためであると語られた。イエス様は、十字架で死ぬことを知りながら、弟子たちの喜びを気にかけておられたのである。主イエス様との交わりを大切にして歩もう。
   2025年3月2日「栄光と光栄を受け取る」
 イエス様を信じた者は、イエス様を見たことはないが、たましいの救いを得て、大いなる喜びを与えられている。しかしながら、試練にあい悩むことがある。しかし、それは神様の平和のご計画の中で起こる。忘れてはいけない大切なことは、試練は一時期だけであるということである。もう一つは、私たちのうちから不純物が取り除かれて、純粋な信仰に変えられるということである。イエス様が再びこの地上に来られた時には、大いなる栄光と光栄を受け取ることになる。この希望をもって歩みたいものである。
   2025年2月23日「神の御力によって」
 イエス様を信じる者は、天に蓄えられた資産を受け継ぐことができる。信じた時から永遠のいのちを持っており、やがて終わりの時には二度と死ぬことのない肉体を与えられるのである。この地上での歩みには、様々な罪を犯す誘惑があるけれども、信仰により、神の御力によって守られている。  
   2025年2月16日 「神の予知による選び」
私たちがイエス様を信じることができたのは、私たちが選んだのではなく、天の父なる神様の愛の選びによるのである。それは、この世界が造られる前から神様は前もって私たちを知っておられた深い配慮に基づく選びである。私たちがイエス様を信じて、永遠のいのちを持つことができたのは、自分が信じる決心をしたからである。けれども、その決心は、神様があなたや私を永遠の昔から愛して選んでくださったゆえである。主の深い愛と導きを感謝し、主の御名をほめたたえて歩みたいものである。
   2025年2月9日「主に感謝して」
 「人間には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(へブル9:27)とある。人はだれでも、この地上を去る時があり、死んだ後、神の前に立ちさばきを受けるのである。イエス様を救い主と信じる者は、つまずかないように守り、傷のない者として大いなる喜びをもって神の御前に立たせてくださると約束されている。主に「栄光と尊厳と支配と権威」があるようにと祈り、主の深い恵みといつくしみに感謝して歩みたいものである。 
   2025年2月2日「信仰・祈り・希望・愛」
信仰と祈りと希望と愛が生活の中であらわされることが、イエス様を信じる者の歩みである。
信じると言いながら、主を悲しませる歩みの中にとどまらないで、主に喜ばれる歩みをしていきたいものである。
  2025年1月26日「祝福と呪い」
 旧約聖書と新約聖書の一貫した教えは、神に聞き従うならば祝福され、神に聞き従わないならばのろわれるという原則である(申命記28章)。
 主に聞き従うならば、すべてにおいて祝福される。主が敵を打ち破り、働きは実を結び、聖なる民とされる。しかし、主を捨てるならば、疫病が流行り、働いても成果を人に取られてしまい、やがて敵に攻め込まれて他の国に連れ去られる。
私たちはイエス様を信じて、御言葉に聞き従って歩み、祝福された歩みをしたいものである。
  2025年1月19日コラム「霊を持っている」
 イエス様、使徒パウロ、使徒ペテロは、今の終わりの時代に、惑わす人が必ず登場することを預言していた。そしてユダも、使徒たちが預言した通りに、惑わす偽教師たちが現れたと語っている。彼らは教会内に分裂を引き起こし、神の霊を持っていない者なのである。
 今の時代も惑わす者は現れる。イエス様を信じる者は内に聖霊が住んでおられる。霊を持っている私たちは日々聖書の御言葉を読んで神様の御心を知ることができる。聞き従って歩みたいものである。
   2025年1月12日コラム「主に感謝して」
 自分の身に何が起こってもそれに満足しないで、何事にも不平を言う。自分が持っているものを欲しいと思わず、持っていないものを欲しがる。人に良い印象を与えるために大げさなことを言い、自分の得になると思う人のご機嫌を取る。このような生き方をしている偽教師を、主はさばかれ、罪に定めるのである。私たちも、同じようにつぶやくことがある。それは主を悲しませることである。私たちがつぶやいた時には悔い改めて、聖霊により頼み、主に感謝していこう。
  2025年1月5日コラム「互いに従いなさい」
 私たちは、夫婦、親子、職場の上下関係などにおいて「互いに従いなさい」と求められている。しかし、生来、人は「従う」ことを好まない傾向がある。ただ、「キリストを恐れて」尊ぶことにおいてできることである。「主の御心は何か」「主に喜ばれることが何であるか」と謙遜にキリストに聞いて従うことにおいて、人に従うことが可能なのである。信じる者のうちにおられる聖霊の助けによって自分の隣人のことを考え、互いに従っていくように求めて歩みたいものである。
   2024年12月29日コラム「主に望みをおいて歩む」
 最初の殺人者カインは愛がなく、お金に 目がくらんだバラムは罪を軽く考えてい た、高ぶりモーセに反抗したレビ人コラは 神の定めに無頓着で神が立てたモーセに従 わなかった。1世紀当時、信仰者を教えた 偽預言者は、彼らのように容赦なく裁かれ る。信じる者でありながら、主に喜ばれな い歩みをし、人に教えるものを必ず裁かれ ることを思い起こして、主が必ず裁かれる と信じて歩もう。
      2024年12月22日コラム  「最初に」
 イエス様の降誕を最初に知らされたのは 羊飼いたちであった。彼らは徴税の頭数にも 入れられず、人々からは信用されていない人 たちであった。 しかし、神はそのような羊飼いたちに 救い主の降誕を最初に知らせた。 素直に、神の言葉にしたがって、救い主を さがした。そして見出したのである。 私たちも様々な課題を持っており、決して 立派な人間ではない。 けれども、そのような私たちに救い主イエス 様との出会いが与えられ、信じることができ た。
  主の深いあわれみと恵みを感謝して、 まだイエス様を知らない人たちに証ししてい こう
      2024年12月15日コラム 「キリスト受難の預言」
 イエス様降臨の約700年前、南ユダ王国 で活動した預言者イザヤによってイザヤ書 は記された。53章は救い主が苦しみを受け る預言であり、救い主の苦しみは、私たち の神への背き、罪のためである。 救い主への懲らしめによって私たちに平和 が与えられ、彼の受ける傷によってわたし たちはいやされる。このようにして救い主 は人のすべての罪を代わりに負って苦しみ 死ぬのである。
 その700年後、神の御子イエス様は人の姿 をとって来られた。 彼の死により、私たちの罪がゆるされ、 死からいのちへと移される道が備えられた なんという深い愛と恵みであろうか。
      2024年12月8日コラム「あなたによって祝福される」
 イスラエル民族の父祖であり、 クリスチャンにとって信仰の父である アブラム(のちにアブラハムと呼ばれる) に神は大いなる約束をされた。 彼が主に信頼して、その命令に従って歩む なら、彼を祝福し大いなるものとすると 約束された。
 また、「地のすべての部族は、あなたに よって祝福される」と語られた。 事実、アブラハムの子孫であるイエス・ キリストを通して、すべての人々が、 のろいである罪と滅びから救われ、祝福に 預かることができるようになった。 神の恵みに感謝して歩もう。
      2024年12月1日コラム「最初の福音」
 創世記3:15は最初の福音と呼ばれている。 「おまえと女との間に、おまえの子孫と女の 子孫との間に敵意を置く」 神は、女の子孫である人類とヘビの子孫であ る悪魔の勢力との間に敵意を置かれる。 「彼は、おまえのかしらを砕き」とは、人と なった神の御子イエス・キリストが、悪魔の 頭を砕いて悪魔に勝利することである。 「おまえは彼のかかとにかみつく」とは、 イエスが十字架で死ぬことである。
 イエスは、ご自分の死によって、すべての 人の罪のあがないを成し遂げて、罪人を許し 永遠の命を与えて、悪魔のかしらを砕かれる イエスは、悪魔に勝利し、人を罪と滅びから 救い出されるのである。 感謝なことに、私たちはその恵みにあずかっ ているのである。
     2024年11月24日コラム 「さばく方は主」
 旧約聖書で、神に従わなかった不敬虔な 人たち、高慢になり堕落した天使である悪魔 性的にみだらな行いをしていた町の住民は、 神に滅ぼされたと記されている。にもかかわ らず、一世紀当時、イエスを信じながら不敬虔 な生き方をしていた人々は、悔い改めず、自滅 の道を突き進んでいた。
 重要なことは、不敬虔な者を裁かれ、滅ぼ されるのは主なる神ご自身である。 私たちは、他の人に対して腹が立ち、さばき たいと思っても、裁かれる方は、主ご自身で あることをわきまえて、罪を犯す人の裁きは 主にゆだねていこう。
     2024年11月17日コラム「神の裁きを受ける」
 神の恵みをみだらな楽しみに変えて、 唯一の支配者であり、主であるイエス・キリ ストを否定する不信仰な者たちは、神が必ず 裁かれると昔から記されている。
出エジプトの奴隷状態から神が解放されたの に、その後主を信頼しなかった者は滅ぼされ た。高慢になり、自分の欲望を満たそうとし た堕落した天使たちは裁きの日のために、 鎖で縛られた暗やみに閉じ込められた。 みだらな行いをし、不自然な欲望を満たすこ とを求めたソドムとゴモラの町の住民は永遠 の火の刑罰によって滅亡した。 神は不信仰な者を必ず裁かれることを覚え、 神を畏れ敬って歩もう。
     2024年11月10日コラム「信仰の戦い」
 初代教会から今日まで、信仰のために戦う 必要が生じることがある。初代教会において イエス様を信じるという人たちの中から、 このように考える人たちが出てきた。 「私たちは神の恵みによって救われたの だから、何をしてもゆるされるはず。だから どのような罪を犯してもいいのだ。」と 神の恵みに感謝して、へりくだって歩むので はなく、自分が王様になって歩んでいるので ある。
 今日でも、この考え方は私たちにとって 誘惑である。私たちは、主イエス様がいのち をささげて罪をあがない、救ってくださった ことに感謝をして、主に仕えて歩もう。
    2024年11月3日コラム 「神から出た者」
 神から出た者は、善を行い。 神を見たことのない者は、悪を行う。 神から出た私たちは、悪を見習わないで、 兄弟姉妹の主に喜ばれる善を見習って歩みた い者である。
  主を愛し、従い、そして互いに愛し、 配慮し合って歩もう。
    2024年10月27日コラム 「イエス様の支配を求める」
 教会の指導者は2種類に分かれる。 自分の弟子を作り、群れを支配しようとする 者と、イエス様の弟子を作り、イエス様の 支配を求める者である。
私たちは、後者を追い求めよう。 つねにイエス様の御心を尋ね求め、従って 歩むことを求め、喜び、平安を与えられて 歩みたいものである。
    2024年10月20日コラム 「真理のために働く同労者」
 ガイオは、説教や霊的ケアをする人では なかったが、巡回伝道者たちを受け入れて、 もてなし、真理であるイエス様のために働く 同労者となった。私たちも与えられた賜物と 使命が与えられている。
 それによって、私たちは真理のために働く 同労者となれるのである。 あなたが出来ること、持ち味や能力を用いて いくときに、あなたはイエス様のために働く 同労者となれるのである。
    2024年10月13日コラム「うれしいこと」
 ヨハネの手紙第3は、ガイオという個人の クリスチャンに送られた手紙である。 ヨハネは、ガイオが真理に歩んでいることを 聞いてとても嬉しく思っていた。 彼は人となった神の御子イエス様を救い主と して受け入れ、互いに愛し合い、他のクリス チャンをもてなすことをしていた。 主にある兄弟姉妹が真理に歩むことはクリス チャンの中に喜びをもたらすのである。
   2024年10月6日コラム「対面でこそ」
 「私たちと喜びが満ちあふれるために、 あなたがたのところに行って、直接話したい と思います」と使徒ヨハネは書いている。 手紙は相手に知って欲しい知識や要件と伝え ることができる。けれども、永遠のいのちを 持つ者同士の「交わり」は対面でこそ大きな 喜びを味わうことができる。
 今日メールやリモートで対話を済ませる ことが便利で簡単であるが、対面での対話、 対面での祈り、対面での礼拝を大切にして、 主にあって大きな喜びに満ちあふれて歩みた いものである。
  2024年9月29日コラム 「慌ただしいからこそ」
 「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなこと を思い煩って、心を乱しています。しかし、 必要なことは一つだけです。マリアはその良 いほうを選びました。それが彼女から取り上 げられることはありません」
 イエス様がマルタ、マリア姉妹の家でマルタ に語られた言葉である。
 忙しい毎日を過ごし、心を乱してしまう 私たちであるが、一番必要なことは静まって イエス様の言葉に聞き入ることである。 慌ただしい日々の中だからこそ、神様の前に 静まりの時を持ちたいものである。
  2024年9月22日コラム 「家にいれてはなりません」
 ヨハネは、人となって来られたイエス様を 告白しない偽預言者を家に入れてはならない 挨拶もしてはならないと命じ、彼らに挨拶 するものは悪い行いに加わっているとまで言 っている。「旅人をもてなす」ように 御言葉から勧められていたクリスチャンは 戸惑ったであろう。
  しかし、神がともにおられない偽預言者は 人々に教える人たちであり、彼らの背後には 悪魔が控えている。最大限警戒すべき人たち であり、真のクリスチャンは自分の力を過信 してはならないのである。
  2024年9月15日コラム「惑わされないように」
 きよい霊的な神様が、汚れた肉体をもって 人間として歩むことはない。 したがって神の御子キリストが肉体をもって この地上に来られたことを告白しない偽教師 が多く世に出て来た。 彼らは人を惑わす反キリストである。  今日も様々な反キリストの教えが登場して いる。惑わされないように気をつけて歩もう 彼らに惑わされると、教会の兄弟姉妹が互い に愛し合うようになるために努力して来たこ とがそこなわれ、神様からの豊かな報いを 受けられなくなるのである。
  2024年9月8日コラム「互いに愛しあおう」
 新下関教会は、1982年9月にレイ& ウィニー・ホック宣教師夫婦と私たち夫婦で 0からスタートしました。その後、さまざま な課題の中を通ってきましたが、42年間の 教会の歩みが守られてきたことを主に感謝し ます。ヨハネが「私たちは互いに愛し合いま しょう」と勧めているように、私たちは、 互いに愛し合うことを一番大切なこととして 歩もう。主イエス様が望んでおられる神様の 家族となり、主を証していこう。
 2024年9月1日コラム 「愛は祈りに」
 長老であるヨハネは、主にある兄弟姉妹を 擬人化して「選ばれた婦人とその子供たち」 へ、この手紙を書き送った。 ヨハネは彼らを愛していると述べている。 なぜならクリスチャンは、「真理」である イエス様のうちにとどまっているからである ヨハネの愛は兄弟姉妹のための祈りにあらわ れている。「父なる神と、その御父の子イエ ス・キリストから、恵みとあわれみと平安が 真理と愛のうちに、私たちとともにあります ように」と祈っている。
 主にある兄弟姉妹のために、``父なる神様と イエス様から恵みとあわれみと平安があるよ うに”と祈ることは、彼らを愛することなので ある。
 2024年8月25日コラム 「神に属するもの」
 イエス様を信じる者は、神に属しているし 真実な方であるイエス様のうちにいる。 私たちの生きているこの世の中は悪魔の 支配下にあり、悪魔は、まことの神以外の ものを第一にするように私たちを誘惑する 危険性がある。 ですから「偶像から自分を守りなさい」と 命じている。
 日々の生活で、私たちは、まことの神様で あり、永遠のいのちそのものであるイエス様 から目を離さないで歩もう。
  2024年8月18日コラム「とりなしの祈り」
 「神から生まれた者はみな罪を犯さない こと、神から生まれた方がその人を守って おられ、悪い者は、その人に触れることが できないことを、私たちは知っています」 との約束を感謝して歩もう。 そして、互いに主にある兄弟姉妹のことを 覚えて、日々とりなしの祈りをささげて いこう。 もし死に至らない罪を犯しているのを見た なら、信仰がなくならないように祈ろう。
 2024年8月11日コラム「かなえられる願い事」
 永遠のいのちを持っていることを よく分かって歩むことは、私たちが神の うちにあり、神も私たちのうちにおられる ことを理解して生きることを意味している。
 そして、私たちの願うことは、すべて願い 通りにかなえられるのである。 なぜなら、私たちは、御心を教えて頂ける 特権に預かっており、私たちが祈り求めるな ら、神は御心を教えてくださるからである。 私たちが御心にそった願い事を祈れば、必ず その通りに実現するのである。
 2024年8月4日コラム「詩篇23篇後半」
 羊を襲う獣は常に機会を伺っている。 けれども、羊飼いが、敵をむちで打ち払い、 伺で羊を守ってくれる。 イエス様は、信じる者をイエス様から引き離 そうと追ってくる悪魔を打ち払い、 守ってくださる。地上での命のある限り、 主なる神様のいつくしみと恵みが追ってき て、主の変わらない親切と支えがある。 あなたはどこに住むのか。神の臨在される 主の家か。それとも神がおられない別の家 か。
 2024年7月28日コラム「神の証し」
 神の証しとは、
1、「神が私たちに永遠のいのちを与えて  下さったということ」
2、「そのいのちが御子のうちにあると  いうことです」
3、御子を持つ者はいのちを持っており、 神の御子を持たない者はいのちを持って いません」

 私たちが、御子イエス様を信じるとは、 御子を持つ者となることであり、永遠の いのちを持つことである。あなたがイエス様 を救い主と信じているなら、永遠のいのちを 持っていることを感謝して歩もう。
  2024年7月21日コラム「マザー・テレサの言葉」
 「何もしなくていい。 そこに苦しんでいる人がいる事を 知るだけでいいのです。」  
 「あなたがちょっと微笑むだけで いいのです。 新聞を読んであげると喜ぶ  目の不自由な人も、 買い物をしてあげると喜ぶ  
 重い病気の母親もいるでしょう。   小さなことでいいのです。   そこから、愛は始まるのです」
  2024年7月14日コラム「互いに愛する」

 イエスがメシア、救い主であると信じる人 は皆、神から生まれた人である。そして「神 から生まれた者をも愛します」と語られてい る。『しんどいな~』と感じる人もいるであ ろう。
 しかし、愛することは、私たちの力ででき ることではなく、うちにおられる聖霊の力に よって可能となるのである。だから、「その 命令は重荷とはなりません」と言われている のである。愛するとは、正しい知識と識別力 を必要とする。
 使徒パウロは、「私は祈っています。あな たがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によ って、いよいよ豊かになり、あなたがたが、 真にすぐれたものを見分けることができるよ うになりますように」(ピリピ1:9,10)と 祈っていたように、私たちも、真の知識とあ らゆる識別力により愛がますます豊かになり 本当に大切な事を見分けることができるよう にと祈って歩もう。
   2024年7月7日コラム「詩篇23篇」

 この詩は、約三千年前イスラエル第2代王 であるダビデがうたったものである。 勇士で有能なダビデ王は、主なる神様は人生 の羊飼いであり、自分は神様の群れの一匹の 羊に過ぎないと受け止めていた。 無力・無知の羊は、自ら事を図ることができ ない。羊飼い任せであり、羊飼い次第である。
 ダビデは、自分には何一つ乏しいところは ないと告白している。主は、こんなところと 思うような場所にも緑の草地を見つけ、ほど よい時にきいれいな水のほとりに伴ってくだ さる。
 私たちの心が落ち込んだり、迷ったり、 立ち止まってしまったとしても、主は生き返 らせ回復させてくださる。そして御名のゆえ に、私たちを神の御心にかなった道に導かれ るのである。
 2024年6月30日コラム「神のうちにとどまる」

 イエス様を神の子であると公に言い表す人 は、神がその人のうちにとどまってくださり その人も神にとどまるのである。 私たちは、そのことをどのようにして知るこ とができるだろう。  第1は、信じる者の内におられる聖霊に よってである。イエス様の約束によって 聖霊は信じる者の内に住んでくださるので ある。  第2は、イエスを神の御子と告白できるこ とは、神が私たちのうちにおられる証拠なの である。  第3は、愛にとどまることによってである イエス様を通して、神に愛されていることを知 り、信じていることによってである。
 2024年6月23日コラム「人々が神の愛を見る」  

 愛は、神のご性質から出たものであり、  キリストと私たちのうちに行われた愛の  みわざによって明らかにされた。  ですから「私たちもまた、互いに愛し合う  べきです」と命じられている。  神はイエス様によって私たちを愛して  くださったこと、また神はつねに私たち  の中に私たちを通して愛し続けておられる  からである。  そして、いまだかつて神を見た人はいない  けれども、主にある兄弟姉妹が互いに  愛し合うことによって、人々は神の愛を  見ることができるのである。
 2024年6月16日コラム「もう一つの霊の見分け方」

 真理の霊と偽りの霊との見分け方は、 教理的には、人となって来られたイエス様を 告白するかどうかであった。使徒ヨハネは、 もう一つの霊の見分け方を教えている。  神から出ており、神をしている者は、 使徒ヨハネたちの語る言葉に耳を傾ける。 その人のうちに真理であるイエス様の霊が うちにおられるからである。反対に、神から 出ておらず、神を知らない者は、ヨハネたち の語る言葉に耳を傾けない。反キリストの 霊がその人のうちにいるからである。

 私たちは神から出た者であり、うちに キリストの霊がおられる。キリストは、 この世にいる悪魔より偉大であるゆえに、 私たちは偽預言者に打ち勝っているので ある。
2024年6月9日コラム 「安心して歩む」

 主にある兄弟姉妹を行いをもって愛するな らば、私たちは、真理であるイエス・キリス トに属していることを知ることができる。 イエス様によって罪を許されたが、不完全な 者で罪を犯すことがあり、自分の良心に責め られたり、悪魔のささやきによって責められ る場合もある。けれども、神はすべてのこと を知っておられ、私たちの心よりも大きい方 なので、神の前に安心することができる。  神の御子イエス様の名を信じ、互いに愛し 合って歩むなら、私たちに2つのことが約束 されている。一つは神様に願うことがかなえ られる。もう一つはその人は神の内にとどま り、神もその人の内にとどまってくださる。 私たちは互いに愛し合って歩もう。
2024年6月2日コラム 「神から出た霊を見分ける」

いろいろな霊の存在や働きがあるが、神から出た霊かどうかを確かめることができる。神から出た霊は、イエス・キリストが人間の肉体をもってこの地上に来られたことを告白する。反対に、告白しない霊は、反キリストの霊である。反キリストの霊は、警告されていたように必ずやってくる。この霊を受けた偽預言者たちは、教会でクリスチャンたちに教えていた。けれども、反キリストの霊による教えは信じてはいけないのである。
 私たちは、神から出た霊かどうかを見分ける知恵をもって、主とその言葉に信頼して歩もう。

2024年5月26日コラム  「もっとも貧しい人」

 人は一切れのパンではなく、愛に、  小さなほほえみに飢えているのです。  誰からも受け入れられず、だれからも  愛されず、必要とされないという悲しみ。  これこそほんとうの飢えなのです。   愛を与え、愛を受けることを知らない  人は、貧しい人の中でも、もっとも  貧しい人です。
  (マザー・テレサ)
 
2024年5月19日コラム「愛は行い」

使徒ヨハネは、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう、と勧めている。この世の富を持ちながら、必要な物に事欠く主にある兄弟姉妹を見て、同情しないような人のうちに、神の愛はとどまらない、と言われている。ご自分のいのちを捨ててくださるほどに私たちを愛してくださったイエス様の愛に応えて、私たちは、自分に与えられている富や力で、助けを必要としている兄弟姉妹を助けていこう。教会の兄弟姉妹に注がれている聖霊なる神様が、その歩みを助けてくださるのだから。

 
2024年5月12日コラム「いのちを持つ人のしるし」

イエス様を救い主と信じる者は、死から永遠のいのちを持つ者になると約束されている。その証しは、主にある兄弟姉妹を愛するということである。

もし愛することをしない人がいたなら、その人は死にとどまったままである。主にある兄弟姉妹を憎む人は、神様からすると殺人者と同じである。殺人者には永遠のいのちはとどまっていないのである。

私たちは、内に住んでおられる聖霊様によって神様の愛を注がれるように祈り求め、互いに愛し合う者に変えられていこう。

 
2024年5月5日コラム「愛することの重要性」  
 「互いに愛し合うべきであること」  これが主なる神様からの初めからのメッセージである。神から生まれた者はこのメッセージに 聞き従って歩もうとする。人類最初の殺人者であるカインのようになる者は悪魔から出た者である。悪魔は、正しい者を憎むことに驚いてはならない。私たちはイエス様を信じる者のうちにとどまっている聖霊に信頼して、互いに愛し合う者になるように祈り求めて いこう。  

 
2024年4月28日コラム
「神から生まれた者」  

 イエス様を信じる人は、神様が恵みによ って選び、神様から生まれた者である。 イエス様を信じる人は、罪を犯すことは 似つかわしくない。 なぜなら、神から生まれた者は、「神の種」 である「神様の御言葉」と「聖霊」がうちに とどまっているから、罪を習慣的に犯すこと はしないし、罪を犯し続けることができない からである。  神様から生まれた、あなたや私も、「神の 種」がとどまっているので、罪を犯し続ける ことはできない。常に、自分の罪に気がつい たら、主に言い表し、赦されていることを感 謝し、聖霊によって新たに神が望まれる歩み ができるように祈り求めていこう

 
2024年4月21日コラム 「光となっている」

以前の私たちは、暗やみであったが、イエス様を信じることにより、暗やみから光になっている。この地上での歩みは、光の子として、イエス様がともに歩まれ、悪い者から守られ、すべてのことが益とされるのである。さらに、祝福は永遠に続くのである。その事実を覚えて、イエス様を信頼して、限られている地上での歩みをしていこう。

 
2024年4月14日コラム「惑わされるな」

 使徒たちが伝えた教えと異なることを 教える教師が現れ、兄弟姉妹に教えていた。 彼らは、肉体は重要ではない、たましいが きよければ、肉体が何をしても良いと言っ て、不道徳なことを行っていた。 それに対して、ヨハネは「惑わされる な!」と警告し、イエスを信じる者は、たま しいだけでなく、行動においても罪を犯さな いようになるのである。御子キリストが罪の ない方であるように、信じる者は、内におら れる聖霊によって罪を犯さない者に変えられ ていくのである。


2024年4月7日コラム「清くなれる」

イエス様を信じる私たちは、今すでに神様の子どもとされている。それはイエス様のいのちがささげられることによる罪のあがなされるという神様の深い愛によったのである。

やがて時が来れば、私たちは、イエス様に似た性質をもつ者となることを知っている。キリストが清い方であるように、私たちは自分を清くするのである。内に住まわれる聖霊に寄り頼み、心のうちを清く変えていただこう。