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| 今週のコラム |
| 2026年1月11日コラム「方向転換を」
南ユダ王国に神様から遣わされたイザヤは、目見える大国の軍事力に頼るのではなく、目に見えない全能の主に寄り頼んで歩むように、南ユダ王国の王や民に求めました。自己中心に歩むことから神中心に歩むように方向転換を勧めたのです。なぜなら、それは、神様から離れ、国を失う道であったからです。 当時の人々と同じような傾向のある私たちも同じ方向転換をする必要があります。その道こそが、主から祝福を与えられる唯一の道だからです。 |
| 2026年1月4日コラム「そのように生きることが」
クリスチャン同士は、「互いに忍耐し合い」「互いに赦し合いなさい」と勧められています。それは、「互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」(ヨハネ福音書13:35)とイエス様は語られているからです。 互いに赦し合いなさいと勧めることは簡単です。しかし、そのように生きることは、簡単なことではありません。けれども、キリストを信じる者にとっては、そのように生きることが一番大切なのです。信じる者のうちにおられる聖霊によって、互いに忍耐し、赦し合う者に変えられたいものです。 |
| 2025年12月28日コラム「イエス様を喜ぼう」
イエス様を信じる前の私たちは、異邦人、つまりイエス様を信じていない人と同じように生きていました。性的不道徳や暴力に身を委ねて歩んだり、情欲や泥酔、不道徳な飲み会・酒宴などの自分の願望を満たす生き方をしたり、偶像を拝むことを行っていました。 しかし、イエス様を信じた時から、それらは過ぎ去ったことであり、今は罪からの救い主であるイエス様を知ったことを喜び、イエス様に従って歩むことを行うように変えられたのです。 イエス様と共に歩むことを喜んで、イエス様の望まれることを行って歩みたいものです。 |
| 2025年12月21日コラム「クリスマスを見出す」
ベツレヘム近くの羊飼いたちは、クリスマスを見出しました。当時、羊飼いという職業は、貧しく、悪知恵にたけ、不正直な人たちと考えられていました。神様は、そのような羊飼いたちの所に天使たちを送り、最初の救い主の誕生を告げました。羊飼いたちは、素直に「救い主は飼い葉おけに寝ている」という天使の言葉を頼りに探し回りました。このようにしたので、羊飼いたちは、救い主と出会うことができました。 今日、神様は、私たちが羊飼いと同じように素直にイエス様を探しにいくことを望んでおられます。そして、イエス様を見出し、共に歩む人生を進んでいきましょう。その喜びを他の人と分かち合いましょう。 |
| 2025年12月14日コラム 「実現した御言葉」
「神である主の霊がわたしの上にある。……主の恵みの年を告げるために」とイザヤ書61:1-2節の言葉を語り、「今日、この聖書のことばが実現しました」と、この救い主の預言は自分において実現したとイエス様は人々に告げられました。貧しい人に罪がゆるされる福音を語り、悪魔の支配下にある人々を解放し、病をいやし、虐げられている人を自由にしたのはイエス様でした。 主イエス様のご降誕を心から喜び、感謝をささげましょう。 |
| 2025年12月7日コラム「近くにおられる主」
「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」(ルカ2:7)住民登録のためにベツレヘムの町に来た人々で宿は満室でした。忙しく、様々なことに心を奪われている宿屋の主人は、この世の目に見えるものにしか関心がなくなり、霊的なことに関心を失っていたようです。まもなく救い主を出産する女性が来ても、見逃してしまいました。 今の世の中にも、このような宿屋の主人があふれているのではないでしょうか。あなたや私は、罪からの救い主を必要としていますか。永遠の命を得ることに興味はありますか。 「まことをもって主を呼び求める者すべてに 主は近くあられる。」(詩篇145:18)この約束は、イエス様によって成就したのです。 |
| 2025年11月30日コラム 「ワンダフルカウンセラー」
「ひとりの男の子が、私たちに与えられる」との預言は、イエス様の降誕によって実現しました。 人となった神の御子イエス様は、「不思議な助言者」と呼ばれるとあります。英語訳は「ワンダフルカウンセラー」となります。「不思議」と訳された言葉はむしろ「驚くべき」と か「素晴らしい」という言葉のほうがしっくり来る言葉です。これは常識では考えられないほどすごい助言をする人だということです。あなたや私が、神様の望まれる歩みとなるためには、素晴らしいカウンセラーであるイエス様が、あなたをふさわしい道へと導いてくださるのです。イエス様を信頼して歩みましょう。 |
| 2025年11月2日コラム「正しくない者のために」
正しくない私たちを神様に導くために、イエス様は私たちの罪のために苦しみを受けられました。私たちもイエス様を信じて従う者として、良いことを行って苦しみを受けても、なお説明を求められた時には、イエス様から与えられた希望を伝える備えをしていきましょう。自分の力ではできないことですが、イエス様を信じる私たちの内におられる聖霊の働きによってできるのです。 聖霊と御言葉の約束に信頼して歩みましょう。 |
| 2025年11月2日コラム「イエス様との出会い」
人は誰でもイエス様と出会うきっかけがあります。私の場合は、人を信用することが難しいということが課題でした。イエス様は、そのような私に時間をかけ、丁寧に、人を信用しても大丈夫という者に導いてくださいました。 イエス様との出会いは、人によって様々です。あなたは、どのようにしてイエス様と出会いましたか。あなたの周りには、あなたと同じような課題を持ちながら苦闘している人はいませんか。 イエス様が探し求めている方かもしれません。イエス様の証人として、イエス様と一緒にその人たちに関わってまいりましょう。 |
| 2025年10月26日コラム 「交わりの大切さ」 毎日の生活の中で神様との交わりの時をもつようにしましょう。 聖書を読みましょう。聖書は、私たちに行くべき道を教え、間違った方向に迷い出ている時には警告をしてくれます。元の道に戻るように励まし、正しい道に歩む訓練をしてくれます。 祈りましょう。祈りは、神様に嘘をつかなくてよい時間です。自分の気持ちを正直に祈りましょう。神様はあなたの祈りに答えてくださいます。聖霊は弱さを持つあなたを助けてくださいます。 そのことにより、私たちは、真実なイエス様の証人となれるのです。 |
| 2025年10月19日コラム「国籍は天にあり」 クリスチャンは、2つの国籍をもっています。一つは日本や韓国などのこの地上の国籍です。もう一つは天国の国籍です。地上は、クリスチャンにとって旅人のように一時的に滞在するところです。そして、そこから主イエス様が、再びこの地上に来られ、私たちを救い出してくださることを待ち望みながら歩んでいるのです。 先に天に帰った信仰の先達者たちも同じように、この地上を歩みました。その歩みを偲び、私たちの信仰を日々新たにして、残された生涯を全うして歩んでまいりましょう。 |
| 2025年10月12日コラム 「私は羊飼いのいる羊」 かつて、私たちは、羊飼いのいない羊のように、さまよっていました。しかし、イエス様を信じることによって、たましいの羊飼いであるイエス様の保護と管理下に置かれています。毎日、「イエス様、あなたは私の羊飼いです。」と告白し、「きょうも私を悪い者から守ってくださり、正しい道に導いてください」と祈り求めていきましょう。 |
| 2025年10月5日コラム 「あなたの願いを」 心配事はハエのように私たちの頭の中をグルグルと回り続けます。そのような時に、聖書は、どんなことであっても、あなたが求めているものを神様に打ち明けるように勧めています。 そうすると、神様の平安が、私たちの心と考えとを守ってくれると約束されています。自分の願いや思いを素直に神様に話して聞いていただきましょう。 |
| 2025年9月28日コラム「主の目が注がれている 「主の目に正しい人たちの上にあり、主の耳は彼らの叫びに耳を傾けられる。しかし主の顔は、悪をなすもの者どもに敵対する。」(Ⅰペテロ3:12)主イエス様の温かいまなざしは、イエス様を信じて正しいと認められた人の上に注がれている。主イエス様の耳は、イエス様に信頼する人の祈りに傾けられている。 さまざまな課題に直面したり、試練の中を通る時、つねに主イエスの優しいまなざしがあなたや私の上に注がれていることと、イエス様はあなたの祈りを聞いておられることを信じて、きょう一日を歩もう。イエス様のご計画に従って、最善のことがなされている一日なのだから。 |
| 2025年9月21日コラム 「イエス様を主としてあがめる」 一般的に良いことを行う人に害を加える人はいない。しかしながら、いつでもそうとは限らない。良いことを行って苦しむことがある。事実、イエス様を信じているために、迫害を受けているクリスチャンたちがいた。主イエス様にあって彼らは祝福されている。だから、迫害を恐れたり、動揺してはいけない。迫害者を恐れる代わりに、主イエス様に注意を集中し、イエス様を主としてあがめるのである。 |
| 2025年9月14日コラム 「恐れるな」 モーセの後継者として神様はヨシュアを立てられた。モーセは、この後イスラエルの民の指導者としてカナンの地に入って行こうとするヨシュアに 3つの約束を与えた。 1. カナンの地に入る時、主なる神様がヨシュアに先立って進まれる。 2. 主が常に彼とともにおられる。 3. 主はヨシュアを決して見放さず、見捨てない。 ヨシュアへの命令は、“恐れるな!おののくな!”であった。 このことは、イエス様を信じる私たちへの約束と命令でもある。主イエス様に信頼して、恐れず、おののくことなく前に向かって進んでいこう。 |
| 2025年9月7日コラム「逆に祝福しなさい」 「悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。」と命じられているが、このことを実行できるのはイエス様だけである。私たちが自分の力でやろうとしても、できないことである。信じる者のうちにおられる聖霊なる神様の力と働きによってのみできるのである。うちにおられる聖霊に信頼して「祝福を受け継ぐために召された」者として歩んでいきたいものである。 |
| 2025年8月31日コラム「兄弟姉妹の人間関係の原則」 教会の兄弟姉妹の関係における原則は次の5つである。1、「一つ思いになり」、イエス様を主とする基盤に立つ時、心が一つに結ばれるのである。2、「同情し合い」、喜ぶ者とともに喜び、悲しむ者とともに悲しむことができる。3、「兄弟愛を示し」、主イエス様にあって神の家族となっている者同士として、神の愛を示すことができる。4、「心の優しい人となり」、イエス様のように人の心に共感し、配慮することができる。5、「謙虚であり」、神の前にへりくだって聞き従うところに、人に対する謙虚さが生まれる。 |
| 2025年8月24日コラム「主に求める者たちに」 自分の力では対応がとても難しい問題が起こった時、あなたは、どうするであろうか。一般的には、対応できる力のある人に助けを求めて、問題の解決を図るであろう。解決できれば大丈夫となる。しかし、主なる神様が望んでおられることは、目に見える他の人の力に頼るのではなく、第一に主なる神様に信頼して、助けを求めることである。 「天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあろうか。」(マタイ福音書7:11) 主は、どんなに小さなことや悲しみでも、ご自分に求める者に良いものを与えようと待っておられるのである。 |
| 2025年8月17日コラム「祈りが妨げられないように」 夫婦関係が壊れるなら、夫婦の祈りもできなくなる。夫は、夫婦の祈りが妨げられないようにする責任がある。そのために、女性である妻の様々な弱さを理解してともに生活し、永遠のいのちの恵みの共同相続人として妻を敬うことが求められる。 また互いの祈りにおいて、このことは真理である。人の様々な弱さを理解し歩み、永遠のいのちを与えられた共同相続人として兄弟姉妹を尊敬することが、互いに祈りあうことを妨げられないのである。 |
| 2025年8月10日コラム 「サラの娘に」 かつて、神に望みを置いた敬虔な女の人たちは、自分を飾って夫に従った。その代表的な人として、クリスチャンにとって信仰の父と呼ばれるアブラハムの妻サラがいる。サラは、夫アブラハムを主と呼んで従った。アブラハムが、主が告げられた地へ出かける時、エジプトでサラが王宮に召し出された時、突然訪問した夫の客をもてなすようサラに求められた時、サラは夫に従った。もちろんサラは決して完璧な人ではなく罪を犯すこともあった。けれども、サラは夫に従う人であった。 今日、どんなことをも恐れないで、主イエス様を信頼し、上に立つ人に従うという善を行うなら、サラの娘なのである。 |
| 2025年8月3日コラム 「妻たちよ」 すべてのクリスチャンは、この世の権威ある者に従うように、また、しもべたちは、自分の主人に従うように、妻は自分の夫に従うように勧められている。神を畏れて、自分に従う妻の姿勢や雰囲気を見た未信者の夫が、信仰に導かれるためである。 外見的に飾り立てることではなく、内におられる聖霊なる神様によってかたち造られる柔和さやしとやかな気立てという人柄こそが、神様の前に本当の価値がある。 |
| 2025年7月27日コラム「たましいの羊飼い」 自分勝手な道を歩んでいた者たちが、たましいの羊飼いイエス様のもとに帰り、イエス様の声に従って、守られ、祝福された歩みをすることができるようになった。それは、罪のないイエス様が私たちの罪をその身に負ってくださったからである。キリストの打ち傷によって私たちはいやされたのである。私たちは罪から離れ、正しい道に歩むことができるようになった。たましいの羊飼いイエス様に信頼して、共に歩み、聞き従って歩もう。 |
| 2025年7月20日コラム 「神から生まれた者」 Ⅰヨハネの手紙3章9節の聖句。イエス様を信じる者は神から生まれた者であり、罪を習慣的・常習的に犯さない。それは、神の種である聖書の言葉と聖霊が、その人のうちにとどまっているからである。その人は、神から生まれたので、罪を犯すことがあっても、罪の中にとどまり続けることができないのである。私たちは、聖霊の助けによって罪から離れて歩むようにしよう。 |
| 2025年7月13日コラム「したがう模範を」 私たちが試練の中で苦しむときに、イエス様がしたがう模範を示された。イエス様は、すべての人の罪をご自分の身に負われて十字架につけられた時に、イエス様は、罪を犯されず、語ることばに偽りがなかった。人々の罵りにののしり返さず、脅しにはおどすことをしないで、正しくさばかれる神様にお任せになった。私たちは、信じる者の内におられる聖霊の助けと力によって、イエス様の模範に従って歩もう。 |
| 2025年7月6日コラム「聖霊の助けを」 神に喜ばれることは何だろうか? それは善を行って苦しみを受け、忍耐することとあるが、私たちは意地悪な人には従いたくないものである。 けれども、忍耐して、その人に敬意をこめて従うことを神は喜ばれるとある。それは私たちの気持ちや努力によってはできないことである。うちにおられる聖霊の助けによってのみできることである。 |
| 2025年6月29日コラム「自由を与えられた」 イエス様を信じる人は自由を与えられている。すべてのことを自分で自由に決めることができ、行なうことができるのである。ただ、その自由は、悪を行う自由とするのではなく、神のしもべとして善を行う自由とするように求められている。 権力者を含めたすべての人を尊敬し、主ある兄弟姉妹を愛して大切にし、神をおそれ敬っていく自由とするようにと勧められている。私たちは、与えられている自由を愛の働く機会としていこう。 |
| 2025年6月22日コラム「主のゆえに」 クリスチャンは、この地上の制度や法律に、“主のゆえに”従うように命じている。大切なことは、クリスチャンは、日本国民だから制度や法律にしたがうのではなく、“主のゆえ”に従うのだということである。 “主のゆえに”とは、主イエス様を信じることは、法律や制度に従うより優先されることを意味している。だから、制度や法律で、キリストを信じることが禁止されて、処罰されることになっても、キリストを信じることはやめることはしない。この世の制度や法律は、あくまで“主にゆえに”従うのだからである。一つひとつの制度や法律は、いつも主に従うかどうかを聞きながら歩んでいこう。 |
| 2025年6月15日コラム「打ち明ける恵み」 思い煩うことをやめて、私たちが「求めているもの」「願っていること」を神様に打ち明けて、神様に知っていただくようにしなさい、と神様は命じておられる。思い煩っている事柄を手放して神様にゆだねるならば、私たちを愛しておられる神様が心配してくださり、私たちは思い煩いから解放されるのである。そして、静かに、単純に、すなおに、あなたや私が本当の願いを打ち明ける時に、あなたの父である神様は私たちに平安を与えてくださり、最善のことを応えてくださるのである。 |
| 2025年6月8日コラム「転換点」 ユダヤ人の迫害を恐れて、逃げ隠れしていた初代教会の兄弟姉妹が、迫害があっても大胆にイエス様の福音を証しするように変わっていった。その転換点は、聖霊が初代の兄弟姉妹の上に降ったときである。その時から、聖霊は、主にある兄弟姉妹と共に歩んでおられる。私たちも聖霊に満たされ、導かれて歩もう。試練や困難があっても、置かれたところで、主からの力によってイエス様を証ししていきたいものである。 |
| 2025年6月1日コラム「たましいの戦い」 イエス様を信じない人たちが多くいる社会に生きている私たちは、神様を悲しませる欲望は避ける、離れることが大切である。そして、神様が喜ばれることは何か、神の前に正しいことが何かを知って、そのように生きていこう。そうすれば、私たちの生き方を見て、イエス様を信じない人たちの中から、イエス様を信じ、神様の御名をほめたたえる人たちが生まれてくる。 |
| 2025年5月25日コラム「ため息をつく」 子どもの頃から困ったことを親に相談しないで、自分で抱え込んでため息をつくというくせがあった。複雑な家庭で育ったためか、幼い時から大人を心から信頼することができなかった。そんな私が学生時代に「わたしにしたがって来なさい」と招いてくださるイエス様と出会い、わがままで身勝手な私を愛し、大切に接してくださるイエス様と共に歩んで来た。少しずつ大人を信頼できるように変えられてきている。イエス様がありのままの私を愛してくださるように、周りの人を愛し、大切にしてイエス様をあかししていきたいと願っている。 |
| 2025年5月18日コラム「イエス様を信じることによって」 かつて神の民ではなかった者たちは、神様のあわれみを受けて、イエス様を信じることにより神の民となった。神が選ばれ、王に属する祭司となり、聖なる者、神の所有となった民である。 それは、いのちがなく、希望のない中からいのちの光の中に移された神のみわざを私たちが、周りの人々に伝えるためである。あなたは、神様がどのようにご自身をあらわされ、救いに導いてくださったかを他の人に伝えることができるように備えておこう。 |
| 2025年5月11日コラム「神の定めによる」 イエス様を信じるどうかは、神様の定めによる、と言われている。恵み深い神様を恐れつつ、自分に与えられている信仰に感謝して歩もう。そして、まだ信じていない周りの方々も神様の恵みによって、心が開かれてイエス様を信じる時が来るかもしれない。イエス様に愛されているように、私たちは、隣人を愛し、イエス様を証ししていこう。 |
| 2025年5月4日コラム「神に選ばれた礎石の上に」 迫害を受けるクリスチャンにとっての支えや力づけは、主イエス様のもとに行くことである。イエス様は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い者であり、教会の礎石となる方である。私たちも石として、その土台の礎石であるイエス様の上に建て上げられていき、互いに主にある交わりをしていくのである。 そして、聖なる祭司とされている者は、霊的なささげもの、つまり神への賛美、神への感謝をささげていこう。イエス様を信じる者は、決して失望することがないのである。 |
| 2025年4月27日コラム「乳飲み子のように」 生まれたばかりの乳飲み子が成長するために一番必要なものは母乳やミルクであるように、クリスチャンが成長するために必要なのは、霊の乳である生きた神の言葉である聖書の言葉である。 私たちもクリスチャンとして成長するために、まず、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨てて、聖書の御言葉を慕い求めていこう。 |
| 2025年4月20日コラム「キリストの真実」 キリスト信仰は、自分中心の生き方を捨てて、神を中心として、生きておられるイエス様とともに歩むことである。試練を忍耐するなら、イエス様と共に治めることになると約束されている。今の私たちは、自分の真実ではなく、イエス様の真実によって、支えられている。つねに真実な方であるイエス様から目を離さないように歩もう。 |
| 2025年4月13日コラム「新しく生まれた者の生き方」 主にある兄弟姉妹は、清い心で深く愛し合いなさいと求められている。それは、信じる者のうちにおられる聖霊によってできることである。神の永遠に変わることのない生きた主の言葉によって、イエス様を信じた者は、神の子どもとして新たに生まれたのである。それゆえに、イエス様を信じる人には互いに愛し合うことが可能となるのである。主の霊に身をゆだねて歩もう。 |
| 2025年4月6日コラム「さばく方を畏れて」 父なる神様は、人の行いに従ってえこひいきをしないで裁かれる。私たちは、この地上で神を畏れ謙遜に歩もう。神様は、罪のない御子イエス様に全ての人の罪の罰を負わせ、イエス様は十字架で死なれ、3日後に復活された。イエス様を信じる者は死からいのちに移され、神様のさばきに会うことがないのである。父なる神の恵みに感謝して、主をおそれ、まっすぐに歩んでいこう。 |